《 2017年9月12-13日 花巻〜盛岡 》
温泉までは花巻南温泉組合の送迎バスを利用するので、しばし駅で待機。
送迎バスが来て、約30分で大沢温泉に到着。
この温泉、とても広いのです。3つの棟があるのですが、送迎バスは手前の山水閣まで。ふむふむ、ここから歩けばいいのねと思っていたら「今、車が迎えに来ますので中でお待ちください」と。ほとんど待つこともなく宿泊予定の菊水館から車がやってきました。手厚い歓迎です。
車に乗ったのは私一人。ちょっと、そういうことに慣れていないのでドキドキですw
この温泉、とても広いのです。3つの棟があるのですが、送迎バスは手前の山水閣まで。ふむふむ、ここから歩けばいいのねと思っていたら「今、車が迎えに来ますので中でお待ちください」と。ほとんど待つこともなく宿泊予定の菊水館から車がやってきました。手厚い歓迎です。
車に乗ったのは私一人。ちょっと、そういうことに慣れていないのでドキドキですw
部屋に通されたら、想像以上にいい感じの落ち着いた雰囲気です。
すぐに係りの方がお茶を淹れに来てくださいました。まだ若い方です。「今日は一関から気仙沼に寄って来ました」などと話していたら、「私、一関の者なんです」と、すっかり打ち解けてしまいました。
窓の外には、すぐ足元に豊沢川が流れています。
川を挟んで見えるのが湯治屋、その向こうが山水閣です。
少し早めに着いたので、夕食前にとりあえず温泉へ。ここには6カ所の温泉がありますが、とりあえず菊水館の「南部の湯」に入りました。さらっとしつつ肌がツルツルになるとても気持ちの良い湯質でした。
1830から夕飯です。
岩手牛のしゃぶしゃぶなど盛りだくさんのご馳走の他に、雑穀吉次揚げという岩手の食材を使った料理をプラス。花巻は雑穀生産量が日本一なのだそうです。
岩手牛のしゃぶしゃぶなど盛りだくさんのご馳走の他に、雑穀吉次揚げという岩手の食材を使った料理をプラス。花巻は雑穀生産量が日本一なのだそうです。
これが雑穀吉次揚げ。五穀(ひえ、あわ、きび、大麦、小麦)の炊きこみご飯を、近海の吉次で包み油で揚げ、鱶鰭(ふかひれ)餡を掛けたものです。雑穀好きの私には大満足のお料理でしたが、お腹いっぱいになって白米のご飯は断りました。
夕食後、部屋に戻ってのんびりしていました。他の湯にも入ってみたいと思いつつ、川のせせらぎや虫の音が心地よくて、いつの間にか眠りに落ちてしまっていました。
翌朝は早めに目が覚めたので、湯治屋の露天風呂「かわべの湯」へ行きました。
朝の菊水館廊下。
外へ出て見た菊水館の建物。かやぶき屋根です。
この橋を渡って、対岸の湯治屋へ。
湯治屋の露天風呂「かわべの湯」は貸切状態でゆっくり入りました。名前の通り川辺にある露天風呂です。内風呂のレトロな「薬師の湯」ものぞいてみたのですが、こちらはまた次回の楽しみに取っておこうっと(また来る気満々)。
カメラを持って行かなかったので写真はないのですが、「かわべの湯」に行くまでの道中、湯治屋の中を興味深く見て行きました。共同炊事場やお食事処などなかなか良さそうな雰囲気。こちらを利用するのも楽しそうです。
そして充実の朝食です。丁寧に手作りされたお料理が美味しくて、美味しくて。
ご飯をおかわりしたいところですが、そんなに食べられません。
ご飯をおかわりしたいところですが、そんなに食べられません。
菊水館をチェックアウト後、岩手の友人と合流して、あちこち案内してもらいました。
いろいろ回ったのですが、あまり写真を撮っていません。
記念館はそれぞれ充実していて人となりを理解するのには役立ちますが、やはり印象に残ったのは、高村光太郎が7年間暮らしていた山荘や、宮沢賢治が花巻農学校を退職後暮らしていた家などです。
いろいろ回ったのですが、あまり写真を撮っていません。
記念館はそれぞれ充実していて人となりを理解するのには役立ちますが、やはり印象に残ったのは、高村光太郎が7年間暮らしていた山荘や、宮沢賢治が花巻農学校を退職後暮らしていた家などです。
雨ニモマケズ詩碑
花巻農業高校敷地内にある「賢治先生の家」
そうそう、お昼は「東家」で、わんこそばをいただきました。
かなり前に学生時代の友人たちと訪れたことがありますが(この店だったかは定かではありません)、もう若くありませんのでまぁこの程度です。
これで2人分です、念のためw
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